どう楽しむか

素敵な発想

心境をつづってみました

家庭の割下は、その家庭にしか出せない。
久々に帰省して、かーちゃんの作った味噌汁なんかで安堵したことはないでしょうか?
味云々じゃない。手作り感も。
また食べたいと思わせる味は、決められた要領で別々に作られたものからはできない。
その血脈も代々伝えるには、時代が時代だけに難しくなってるみたい。
何せ、親をよく思わない。何なら見下してすらいる。
どっちが親かわからない。上から目線。

クックパッドでもみれば、それなりに美味い料理ができるって?

じゃあ言いますが、私はまだ妻のあの、料理が食べたいなーとは思わない。
誰でも作れる料理だから。

というか飯は良いんだ。
今は子供の事に頭がいっぱいで。
親の事を考えてる余裕がない。

ただ、たとえ気疲れする要因であったとしても、少なからず自分が心労で倒れても助けがないのも事実なんですよ。
私の家庭も例外ではなく、その援助を受けられる手段を全て断ってしまっている。

忙しければ他の事ができないというのは甘えだ。時間は自分で作れば良い。
今こうして記事を書いてるのも、適当な仕事に家事、育児、仲良しを問題なく執り行うことができたから。
余裕を作って明日につなげる。
明日を生きる活力源と、目的とは違う鍛練を同時に無駄なく行えてこそ、親。

うちはまだまだ親としては程遠い。
私は威厳がないし、妻は全部自分達でやろうと思ってる。
家族を大切にしたいなら、頼れるものは頼るべき。
親としての成長は、自分達の親が一番引き上げてくれるものだと思う。
女はめんどくさい。
口は挟まれるもの。
それを我慢するなんて何事かと。
かつての子供が大きくなって一人前になっても子供であることに変わらないんだよ。
それを汲んでやってくれよ。
いつ気づいてくれる?妻よ。
子供達が可愛いのは認める。

今のままでは全力で笑えないよ。
どうすれば良いだろう?