小中学の友人なんてクソという記事を見てしまった。胸くそ悪い記事。
何でこれが上がるんだ?下げろよって。
反面教師なんてのはこんなときのためにある言葉だな。
私は小中学の友人というより、全児童と付き合うことは、将来に向けて大事なことだと思っています。
教科を勉強する以上に。
友人を誰より多く作って欲しいし、多種多様な人間がいることを知ってほしいです。
人には得意不得意があって能力、性格もまるでバラバラ。
そんな中で自分に合った人間と友達になりがちなんだけど、合わない人間と友達にならないまでも理解しようと努めて欲しい。
子供は右も左もわからないところから人生が始まる。
例えば人を殴ることが悪いことだということを知らない。
子供達は、そんな中でお互いを高めあおうとしているんです。
ゆえに自分がやってることが相手にどんな影響を及ぼしているのかわかりません。
時に人を傷つけて、逆に傷を負うこともある。
痛みを分かち合うことは、社会に飛び出した時に糧となるのです。
人の考え方を知るために、より多く知り合うことは、例え人見知りでコミュニティ障害だったとしても役に立つことです。
やられたらやり返せという横暴な内容もありましたが、実際のところやり返すというのは、直接的なやり返しとは違います。相手のしていることが間違っていて自分のやることが正しければ、味方はどちらにつくでしょう?
殴られたから殴り返すではなく、結果的に殴るよりも痛くて退いてしまうような行動。相手に攻撃されなくなる、もしくは攻撃する気力をなくさせる方法というのは必ずあります。
それらを、学ぶためには家族や教師が辛抱強く見守り、時に助言しなければならないのですが…ちょっと前に書いた記事に教師が手を出せなかったり、内容も知らずに自分の子供は間違ってないとシャットアウトしてしまう親がいるようだから困る。
大事なのは、進むべき道から外れていないかどうか。親は注意深く見守らなければいけません。
正しいか誤っているかの判断は、小中学と数年かけても難しい程、奥が深い。
例えば努力が実ることというのは大体のことが当分先の話だし、何なら時の流れに慣れてしまって、気づかないなんてこともあります。
お前、もう出来てるぜ?
っていう。
それを知るために正しく生きる。
正しい判断を覚えたら、今度は成功例を学んでいくんです。
人間数回の成功の裏に、何千回何万回と失敗してるけど、間違ってないからという自信を持っていれば挫けたりしない。
その基礎を作る教科書(児童)が果たしてクソでしょうか?
どうかしてる