どう楽しむか

素敵な発想

勝手に振り回される理由


男は極端、女は勝手。

本質が、そうなんですよね。
表裏はっきりしてるのが男。
表裏どっちでもあるのが女。
合わないパズルを無理矢理合わそうとするような関係。
水と油。
いつの時代も完璧にうまくいくことなんてない。
それでも気持ちを1つにして、生きてく。
お互いの本質を知って、努力を続けても結局は譲り合いですからね。歩み寄るにも本質は変わらないことを忘れてはいけない。
立ち振舞い、身のこなしをスマートにやらなければ喧嘩に発展します。
疲労がたまってなければ、喧嘩することでお互いの意見をぶつけあっても尊重できます。
疲労がたまってれば、ただ感情的になってるだけ。
そういう時は、しばし私は洗面所で顔を洗います。真っ最中にですよ(笑)冷静に物事を判断できなくなってるので頭冷やす訳です。
普段は、足並みを揃えるのは簡単です。
でも非常時は?現在のステータスでできる工夫をありったけしないと難しいです。
ところが頭回らないんですよねー。
もう自分が何やってるのかわからなくなってきます。

まぁ何て言うか…。
極端と勝手って言いかえれば、1つの事に集中できることだったり、周りを冷静にみて満遍なく、ムラなくできることだったりする訳です。
本質の違いで、見えなかったことが鮮明にみえてくる。気づかなかったことに気づけたときの素晴らしさったらないです。
まるで底力が上がったようなパフォーマンスを出せます。

…。
ところが私は疲れすぎてます。
だから「勝手」に振り回されてしまいます。
先日の例のイベントで、貰った袋を持って帰ったところ…。

これ、何で持って帰ってきたの?
捨ててくれば良いじゃん?

と言われ

ハートのシールが付いてる袋を捨てられるか?

と返したところ飛びっきり喜んでおりました。
女性のそんな単純ながら大きい評価をもらえる一言を疎かにしてはいけない。
当時手を繋いで仲良く歩いてたとしても、それがジャイアントスイングに変わる可能性もあるということ。

どうでもよすぎる悩みで見えたこと


最近、体の節々が日替りで痛い。
中でも腰が大概痛い。
天気良すぎる日は頭が痛い(生まれつきの神経系の問題)。
一人の時間が一握りしかできず、ほぼ常日頃眠い。腹が減ってる。
帰りの電車で眠りにつけば、寝起きのコンディションの悪さに驚愕するし、三往復くらいしてから駅を出たい気分です。

そういうステータスですから、本来であればちょっとしたことがイライラの元になりうるものですが、先日の妻の話のどうでも良さは素晴らしかったので思わず笑ってしまいました。

相性が悪いママ友がいる。

これはねー。もうね。パパサイド全域、大半、九分九厘思ってるんじゃないでしょうか。
世間話のどうでも良さってピか1なんですよね。知ったこっちゃない。自分でどうにかしろ。甘えてんじゃない。
色々言葉が思いつきますが、どうやら話を聞いて欲しいだけですからね。話半分に聞いてなくてはいけない。

んなこと言ったらこっちだって仕事の不満をぶつけようか?
私にとって仕事の不満その他云々なんて、家族に比べれば何でもない。
だからこそ、それっぱっかしのストレスを抱えるだけの猶予ができていたということに対して笑ったんですよ。
平和に暮らせてるんだなって。
些細な悩みを持つ程の余裕が一切ない私の代わりに、それをしてくれてました。
なのでムカつく訳でも、呆れる訳でもありません。笑えるんです。
世間から見れば、尻に敷かれてる。
姉さん女房で、ドきつい事言われっぱなしでみっともない。

ただ、実際妻は私の手のひらで転がってる。後は、私が大人になるしかない。
どうでも良い事程、大切にしなきゃいけない。思い知らされました。
私は、そういう処理がど下手なんだ。

 

二人の子供をお風呂入れて出るまでを計ってみた

 

結果から言うと30分きっかり。
うちの風呂場事情は、順番が決まってます。
私、次男(5か月)、長男(2才)、妻という流れです。

お風呂を入れるのに気をつけないといけないのは、早い内にお風呂の恐怖心をうえつけないこと。
洗う側からしたら理由がなくても、子供が泣くには理由があります。
泣くのは仕方ないと強引にやればやるほど、より泣きますし、不慣れなお父さんであれば、懸命にやればやるほど泣いてしまいます。未知の水という液体にさらされたあげく、神妙な顔をした父をみて怖さが倍増してしまうのです。経験不足の間、当然時間もかかります。変に力が入って疲れるし、腰痛いし。
そういうこともありますが、世の中やっぱり場数ですよね。
上記のことを念頭に、今からすることを伝えながら優しく洗えば、慣れてきますし、お風呂は楽しい。水は楽しいに変わってきます。

頭ではわかってても、疲れてると育児って本当にしんどい。
しんどさを無くすことは、不可能なので、そのしんどさをいかに軽減できるか。
子供は親のことを本当によく見ているので雰囲気を悟ったり、何でも真似をします。
親の影響力の強さ、外へ出ても吸収力のすごさに驚かされます。
子供達に正しい教育をするためにも、負担を承知で育児をこなしていきます。

 

節度を持つ

今回のテーマは節度。
適当、良い加減…。とにかく程よくやることに飢えてます。
仕事をする度、ひしひしと感じてました。

まぁそれはともかく…。
職人が作ったものを消費者がどの程度正しく利用しているか?
道具しかり、食べ物しかり、身だしなみしかり…。

どれだけ高いものを使っても、正しく上手に使えてなければ意味がない。

どれだけ高いものを食べても、正しく調理されたものを正しく食べなければ台無しになる。

どれだけ高い服を着ても、組み合わせや着こなしで、ださくなる。

というように、最近は職人の努力、汗、涙、血、時間の結晶を、インターネットのちょっとしたインパクトのある広告で粉々になってしまう傾向にあります。
先祖代々、理由があってやってきた伝統の行い。意味が二転三転し、間違って理解されてしまう。
上っ面の情報だけでは、中身を正しく処理できない。
結果、常連が離れる場所も出てきました。
高い会費を払って、通う場所だってそうです。
機材やサービス云々で選んでる訳ではありません。マナー、節度のある人達で構成された空間を好んでいるんです。

本来いるはずのない高級な空間に、注意もされず、はしゃぐ子供がいれば、文句が出て然るべきなのかもしれません。
その空間にいることが、プライドである人達もいるのです。

努力して研究して勉強して、地道に行っていたことが、報われない職人。

汗水垂らして、上り詰めた地位を得た結果、今の自分がここにいるというような人達にとって、雰囲気を台無しにされてしまっては、報われない。

最近は、そんなことが見えてきて、文句言われれば言われる程、無茶苦茶な注文をされればされる程、どうにかしなければいけないと思ってます。お互いに無茶は承知。
譲り合うこと、難題を乗り越えて前進することが共存、信頼に繋がっていく訳ですから。

私は、そんな人達とは真逆の人間ですが(苦笑)
本当に残念なやつだなと、そこら中で思われてます。

ただ、正直解決策がわかりません。

地道にやっていくために、今年は疲れない目標を掲げましたが、元が元ですから…。
後は、疲れきってる方が良いこともあります。それは、ネガティブな気持ちにならないこと。漠然と考える時間が生まれると、どんだけ駄目な人間なんだ、食っていけるのかとか余計なことを考えてしまいます。
考えるより体を動かせ。今までそうしてきました。でも父になった今、無計画ではいけないし、懸命に生きれば良いということではないとわかりました。

30そこそこのとーちゃんが、普通を求めて歩みを進める。

当たり前のことができない。
そんなことに苦しめられてます。

言われたことができない。指示通りできない。メモったものを見てもその通りできない。頭に入ってこない。
すぐ忘れる。

頭をつかう癖をつけないと。
ただ最近は、自分を見つめ直す機会が頻発してる気がしてます。
考えて考えて考えまくります。

ダイソン ハイジェニックミストAM10を購入してきました

 

吸引力が変わらないただ1つの掃除機

が謳い文句のダイソンの加湿器を購入。

高額な商品を揃えるただ1つのメーカー

の間違いなんじゃないかと思う程、高いですが、私が買ったのは能力。ハードル高かったですよ。何せ一月のバイト代が消え失せましたからね。贅沢過ぎます。

デザインの良さは後からついてきました。
リモコンが頭にくっつくのも特徴。
出てくるミストを触っても水滴が付かず結露しにくいのは良いが、本体事態の噴出口に水滴ができます。いずれカルキがこびりつくであろうことは、容易に想像できます。ただし、取り外して丸ごと洗浄できます。メンテナンス良ければ問題なし。
音がほとんどしない。機械音のみ。
部品の土台部分だけ重いので倒れにくい。
私の願いは、朝の喉の不調なんです。
私自身は、平気ですが家族が皆、声が変わっちゃってます。
ただ加湿器買うなら半端は嫌だ。文句も言われたくない。意味がない。では困る訳です。
不調の原因は乾燥。
だからこそダイソン。
思えば空調関係はいつも妥協しませんでした。エアコンも半端なかった。

今家で、モコモコとミストが出てます。
私にとっては、それだけで気持ちがよい。
ミストってより、マイナスイオン

…。

よし家計が大変だ、どうすっぺ

チョコ焼きそばの発売に思うこと

ところで今年のバレンタインは、チョコ焼きそばを義理にすることで、全く新しいプレゼントの仕方が生まれたことになる気がしてます。
渡す際に、お湯を入れて渡せるし(笑)
むしろ焼きそばですから、片想いされたうざさに


『お湯は捨ててね』(水に流してね)


と言うのもありかもしれない(ないか)。
食べたことないけど、評価悪そうですし
、そんなこと言われて渡された側は、嫌な思い出(不味い思い出)しか残らなくて、ただの失敗作ではないと言えるかもしれない。

チョコっと考えれば。

 

 

 


…。
暴走しました。慎みます。

その我慢強さはどこからくるのか

 

私は、度々唐突にこのようなことを言われることがあります。
あまり感情を表に出さず無表情、
怒ってるのか眠いのか…何考えてるのかわからないと(笑)

何がともあれ勘違いなので、今回は我慢強さについて考えてみました。

まず私の場合、反応の薄さが起因しているようです。
本当にすごいと思っていても、本当に怒っていても、本当に痛がっていても、本当に疲れていても、そうは見えないようです。

次に頭が悪く容量が小さい。
本当に不器用なやつなので、何かにつけて突っ込みというか悪態なり何なりをつかれます。もう日常的に。
毎日毎日言われて、脳みそから情報がこぼれっぱなしになってる状態ですね。
わざとやってる訳ではないという根本が私を支えています。
否定されても、改善を促されても驚異的にできません。
容量の小ささが、私に我慢を習慣化させた結果、いちいち大きな反応をしないことが良いと判断したようです。

従って我慢強い訳ではなく
言われても平気ではなく
むしろ、ショックを受けてます。

それでも、言われた事をあっという間に忘れるので説得力がありませんが(笑)

切ないですよ。わざとやってるのか?と。正直、自分のできの悪さに頭きて、わざとだよ!って言ってやりたい程です。
言われるまで気づかないなんて、私の海馬どうなってんの?って。

こんな風に外的反応は薄いかもしれませんが、内部は荒れてます。

本来、わだかまりがあれば自分の頭の中で葛藤があって自己消化するものなのですが、生活の険しさが私を変えたようで、最近は文句がありそうなオーラが漏れてしまってるようです。

…。

私の我慢強さの基礎は小学時代に遡ります。
度重なるいじめがあって複数によく殴られていました。
でも転校することなく、周りのサポートもあって中学も一緒でしたが、仲良くなってました。
解決に導けた経験が糧になった結果、それからの私は、いじめに対する恐怖心が一切消えました。
自分の姿勢次第で、いくらでも状況を変えられることに気づいたからです。

我慢強さはどこからくるのか?
人間は一度経験した修羅場クラスの経験を忘れません。二度目はもう修羅場と思ってないのです。
厳しい経験にぶつかっても、真っ正面から受け止めて解決すること。
逃げてばかりいてはいけない。
それが我慢強さにつながるから。