どう楽しむか

素敵な発想

教師が手を出せないということ

博多高校で生徒が教師を暴行という事件(今は事件になっちまうんですね)で、学校の謝罪文が炎上してるそうで。

何よりパワハラ等のハラスメントを筆頭に暴行はおろか言葉ですら気を配らなければならない昨今ですよ?
いつの時代もいじめや暴行なんてのはあって当たり前でしたが、警察を呼ぶ程大事になりませんでしたからね。
常識の範囲内で、そもそも親も教師も警察も、雷さんも昔は鬼のように恐かったのですが、今はそれがない。
教師なんてなー友達ですよ。先生じゃない。完全になめられてる。
そんな中で教師がもし生徒に手を出そうものなら親が飛んでくるっていうんですから驚きです。

事実が発覚した時点で、まず帰宅直後に父親に青短を作られて、耳を引っ張られながら学校に引きずられて謝罪するくらいの勢いがありました。それが親だったんですよ。

今回の事件は謝罪が悪いだの何だの、おかしいな。確か生徒が教師を暴行したんじゃなかったですか?とはいえ対応は確かに悪かったというのが後味悪い。
もしそれで、生徒が親に何の雷も落とされないのであれば、善悪の区別も学習できない。

痴漢冤罪なんてのは良い例。
疑われた時点で逃げろなんて狂ってる。
教師は生徒の悪行を見てみぬふりをする。何故か?
体罰で叩かれることを恐れてるんです。

時代の流れには逆らえないのは理解できますが、この対応の仕方は間違ってませんか?暴行っていうと言い方悪いですけど、痛い目を見ないといけないことだって世の中にはあるんですよ。それを教えるために誰かが悪くならなければいけないんです。親元を離れて自立するためでもあります。

 

学校の対応が斜め上だとか突っ込まれてますが、手も足も出せないけど教えることだけ教えろよっていう方が私には余程上からな気がしてなりません。

うちの子も将来、私が本気でひっぱたくことになる事案も覚悟しています。でもそれは体罰なんかじゃありません。
この先、子供達が悪にならないように、先にこっちが悪になってるだけなんです。当然好きで手を出したりしません。
なんなら母親なんて心の中で号泣してるくらいですよ。我が子を痛めつけるなんて何させてくれてんの?って。

子供達のためなら私は悪になる。
社会よりずっと恐ろしい存在でありたい。
生きてくのに大切なこととか、一線とか。自立できたと確信したら、逆に全く干渉しません。
それが、親の務めだと思っています。