同僚とお昼中の会話。
「外から帰ってきて、よくそんなに飯食えますね?オレは、食欲がわかない。」
私「外と言っても別に、路肩みたいにしゃかりき働いてる訳じゃないから。
そんな、やわじゃないし」
「なるほどオレは聞く相手を間違えたみたいですね」
と仰るということは、そういう返答を求めていなかったということですか?
今日は暑いなー。
なら
そうですねー。
と返すものだみたいに。
だが私は上面の建前のような会話が苦手です。
それにその同僚も、毎日ジムに通ってるほど体格も良いのも手伝って、どの口が飯食えないというのかと頭によぎりつつの返答だったんですよ。
説得力ない体つきしてますから。
自分の想定した会話しかできないのか?と。同意を求めたい?
確かに茹だるように暑い。
食欲も出ないかもしれない。
でももし、食べなかったら熱中症にでもなって倒れて入院なんて万が一でもできる立場にない。
とーちゃんという生き物は、何より自分の事を大切にします。倒れる訳ないとかそういう問題ではなく、万に一つの可能性を考えます。
健康であり、安全であり、平和であること。
そのためには10点とれるところ7点でも仕方ないと思っています。倒れてしまったら家族に跳ね返ってくるから。
そこまで、やわじゃないというのは例え食欲がなくても食べなければならないという意識があるので何としても食べるという意味も込められてます。
平然と飯食っていければ、それに越したことはないけど、あいにく馬鹿なんでやれることは限られてます。もうどうしたら良いのか、うつ向きながら生きてる今日この頃。
育児は様になってきましたよ(笑
…。
・社会の底辺がどーのこーの
自分一人で生きている訳ではない。
今歩いてる道路も、コンビニで買ったパンも、自分の知らない誰かが作ってる。
突然何の話かと思うけど、社会の底辺と付き合ってはいけないというような論争がはてなであったので、少しかじってみました。
その底辺が、あなたの生活を支える何かなんだと気づいてくれ。
本当に底辺とも言うべき最低の人間がいるなら、そうならないよう学習して生きれば良く、公開して閲覧させる必要はないです。
本来であれば、人間は頭の良い生き物なので、自然と我が振り直すものですが、
こうも階層に分けられて、底辺と付き合わないというのは、どうも脳みそプリンな答えですね。
社会の底辺とされる人達と付き合わないで生活するのは不可能です。同じ世界に住んでますから。
社会の底辺を垣間見てしまった!
そう思うなら黙って自らの行いを改良する。
それで良いと思います。
本当に仕事ができて大人な人間なら、手玉に取ったり逆手に取るでしょう。
完璧な人間なんていません。
社会人は皆、社会の底辺から這い上がってきたんじゃないでしょうか?
今もひたすら自分を磨いて、悪い行いだと気づいたら改善していく。
この手の記事は、ただただ批判をするのではなく、その怒りを原動力に今日を生きれば良いんじゃないでしょうか?