どう楽しむか

素敵な発想

言葉の受け取り方の転換

次男君に優しく言ってくれたら聞くよ的な事を言われました。

父親として、それはできないのだ。
長男は察するようになってくれました。

世間一般で言うところの優しい事ばかり言う奴はいない。大体その優しい言葉というのは、そもそも本当に優しいのか、もっとよく考えて欲しい。

世間一般で言うところの言葉の暴力は決してなくならない。
そういう時代じゃないと聞くようになりました。
たとえ妻に言い過ぎと言われても私の務めだと思っています。

…。
問題はその考え方の転換。
言葉の暴力も、ただの悪態もスルーせず参考にするという考え方。
そもそも、自分の気持ちを何故他人に委ねるの?そういう風潮だから?
だから洗脳されるんじゃないんですか?

本当の大人はキレたらキレ返すなんてやりません。

…。
みやぞんが言っておりました。
自分の機嫌は自分で取れ。
仰る通りで、自分の元気の出し方は自分しか知り得ませんが、その出し方を学ばせるには、その例の優しい言葉とかいうやつ?にどうしても意味を見いだせないんです。

その人の嫌々オーラを理解し、自分の方法で好々オーラに変える事はできます。

…。
私は子供時代にそれを理解できず、学校生活をほぼ台無しにしてしまったと思っています。学校で元気に過ごす方法を知らなかった。退屈でしかなかった。
イジメられるし学校とは、何と嫌な所なのだろう。先生にも友達にも大した評価を得られないまま終わってしまった。

 

きっと頭の良い人は、そもそも先生の話を聞くために自分にとって1番良い方法を準備したり、発言していたんじゃないかって。
興味を持つためには自分が面白いと思わなきゃ。

新人は指摘される事が多いところから始まり、徐々に二手に分かれるんですよ?
できるようになってきたから、何も言わなくなるのか、言っても無駄だから何も言わないのか。それを万年平社員は知らないで一生を過ごしています。


私もまだまだ、本当に言い方が悪かったなと思う事は多々ありますが、子供とのアプローチの仕方、子供と一緒に最善を考えていきます。