どう楽しむか

素敵な発想

東名の煽り運転で思うことでも

最近本当にひしひしと感じるんですけど、関わりたくない感を。
誰かの作り上げた暮らしの中で、これは矛盾してるんです。

例えば事故。
どれだけの人がご存じか…。
突然の渋滞に備えたハザードランプの点滅。
この先、車間が詰まっているため減速して下さい。
そのたった1つの行動が、周囲に気づかせるんです。

例えば東名の事故で言えば、事故のきっかけを作ったのが今回の裁判の被告。
衝突したのは、後続にいた2台のトラックの内、2台目のトラックなんですよ。1台目は回避しましたが、その死角で見えなかったトラックが衝突してしまった。

東名高速道路は三車線。
事故は追い越し車線である右車線。
普段、この車線に停止している車はないということ。
そしてほとんど直線。
交通量の多い大動脈。
トラックドライバーであれば、乗りなれてしまっている。
そのため、トラックの後続にほとんど車間を空けずに走行。
油断という部分は考えればいくつもあります。

事故は周囲の機転で防ぐこともできるのですが…。


…。
関わりたくないと言っても関わらなきゃならないんです。皆で走ってるんですから。

推測に過ぎませんけど、東名高速道路の追い越し車線というのは、たとえ一瞬停止したとしても時速100キロ程で走行しているので、何台も車が通過するはずなんですよ。
それに、多少なり会話をしているということは、その間に何台の車が回避して通過していったのか…。
多少の渋滞が発生するはずですし。
ハザードランプを点滅させるはずですし。
そこには、機転も何もなくて回避するのが精一杯という印象です。
なぜか?
誰も関わろうとしなかったんじゃないでしょうか?

…。
日常を過ごしていて思うんです。
そういう課程を立てられてもおかしくないような行動を、一歩外に出れば見られますので。
見ず知らずの人の協力というのは得られない世の中にどんどんなってしまってる。
例えば挨拶をすれば、

何かご用ですか?

と飛び抜けた返しをしてきますからね。
用がないと挨拶しちゃいけないの?って。子供の方が余程しっかりしてるわ。

一人より皆の力。
もっと学んでほしい。
防げる事故だと思ったから書きました。