どう楽しむか

素敵な発想

父親と母親の役割をはっきりさせて、愛情に変える

十分頑張ってる人に頑張れというのは酷であるという言い分をたまに目にする。

頑張れって言われるってことは頑張ってないからなんですけど。
もしくは、頑張り方を間違ってる。

例えば、目的地に行くために1をスタート地点にして10に到着したとします。

一度覚えたはずの場所も3をスタート地点にした場合、10にたどり着くことができない。

こう言ったように何度も繰り返しやれば、いつか覚えることもいつまでも覚えられない。そういうような人がいるんですよね。

途中で加わった場合、状況に応じた行動をとることができない。


自分の仕事は7~10までと決めつけている。

そのため手が空くと仕事をあからさまにサボり出す。

じゃあ○○やっておきますね。

↑聞こえは良いかもしれませんが、私には

サボりに行ってきますね。

って言ってるのと変わらない。二度手間というのはやるだけ無駄だし、要らぬ労力。

上司に本気で叱られている内は、まだ望みがある。
ところが突如として愛想が良くなった場合、見方によっては注意がいりますよ。言っても無駄と判断したともとれるのです。
実際、陰で皮肉をボソッと言っていきますから…。
言いたいことを言ったら、不貞腐れ、言わなきゃ言わないで何だか冷たいととる。
当たり前じゃねーか。

価値がなくて商売にならないなら、価値があるものにすれば良い。

言い方が気に食わなくて言うことを聞かないクソガキなんて五万といるから、人格によって合わせた対応も求められると思います。

頑張れ、気にするな、大丈夫、次に改めろ

こんな事言われてる内は、まだまだ頑張る伸びしろがあるってこと。
従って頑張れと言われてしまう。
私なら同情されてる内は、恥ずかしいし悔しい。嬉しくも何ともない。
求められている事+α。
αの部分が個性。その人しか出せない力。

子育てしてても、それは要求しすぎと妻に言われることがある。
だけどバランス。
二人で怒ってもいけない。
二人で優しくしてもいけない。
共感しないといけないこと、反感を持たないといけないこと。
私は無理を承知で要求する。
これからも変わらない。
社会はきびしい。私はそれよりも、きびしくありたい。最高に胡散臭くありたい。
そこまで、やらなくても。
妻はそれで良い。だから、ずっとずっと私を止める係をやってほしい。
言うことを聞かないと思います。
だけど、その真意はわかってほしい。
そこに愛情しかないから。