どう楽しむか

素敵な発想

追悼

東日本大震災は、私が生きてきた人生で一番おっかない地震でその影響力たるや、本当に自然の災害というのは逆らうことができないものなんだって痛感したもんです。水難事故とか毎年大人が助けようとして犠牲になりますもんね。
忘れないために今1度振り返る。

身の毛もよだつ。
一瞬思考が停止して硬直するような、そんな感覚。

私は大震災が起こる三日前は秋田に、その次の日は宮城に出張していたんですよ。そして前日に埼玉へ。当日は東京。ちょうど休日でした。

起きる二日前に宮城で、大地震と津浪に遭遇しました。その大地震ですら、初めて感じたやばい揺れです。やばいやばいやばい!みたいな。
まさか前兆だったなんて。
津浪情報まで出て、こんなこともあるんだって軽く見てました。
外にいて駐車場を見つけて車を駐車した直後、全てのものが激しく揺れていました。異常な光景です。大地の怒り。
外で地震を感じるのも去ることながら、何だコレはって。

大震災には前兆があるかもしれない。
それに、こうして生きてるのも幸運だったと言わざるをえない。
道路の渋滞、それによる仕入れの遅れによってコンビニやスーパーその他の量販店でまともな買い物ができませんでした。道路が変形して高速道路もうねうね。そこら中で陥没。
断水。水路が遮断されてトイレもまともにできやしない。
電波。会社にも同僚にも家族にも連絡できない。
燃料。スタンドで待ったのにもかかわらず売り切れとか。千葉のコンビナート燃える。
放射。まさかのメルトダウン

大震災によって日本各地で起きたことは、津浪の影響のない所まで大きく響き渡りました。
テレビで尋常ではない映像が流れ、無力感を禁じ得ない。
計画停電に協力しても、募金しても。
そして現在の行方不明者は2500人以上。

もう7年も経ってしまった。
大震災は忘れた頃に起こる。
生き延びた私達は、何を学んで何に生かして生き続ければいいのか?
身近な自然災害や事故を防ぐために後世に伝えていかなければならない。

震災後に、まだ自衛隊員がいる中、仕事で宮城に。
絶句です。何もないのです。
ガードレールが靴ひものような形をしていました。その力は津浪によるもの。

人間が抗うことなど、できるはずもありません。その時、咄嗟の判断で生き延びるためには数秒の行動で生命を左右したのではないかと思われます。

今、特別警報という警報がありますよね?

行っていた全ての事を取り止めて、今すぐ命を守る行動をしてください。

定められた指示を聞ける状況ではなくても、呼び訓練というか、最低限備えられる事はしておきたいですね。
ハザードマップ
連絡の取り方。
避難バッグ。
適度な運動。

あの時、私が震災を避けられたのは幸運でした。
忙しさの中で、毎年忘れがちな事ですが、この事は忘れない。
子供達にも教えたいことは、いっぱいある。どう教えるかも重要。
シミュレーションも頭の中で行ってます。