どう楽しむか

素敵な発想

こんなご時世で三、四人目を考えるとかあーだこーだ

子供二人生まれて、育児慣れしたら三人目四人目も考えるだけ考えるようになった。

正直、収入が多ければ間違いなく踏み切ってると思います。

営み許可がおりて、いざゴムを用意しようとした矢先のこと。

付けるの?

という事をさらっと言われたり、

私の二星球に向かって

女の子女の子…。

と呪文のように唱えたりしています。

もう既に夫婦で冗談のように、それでいて同意が得られれば私は一向に構わないという危ういやり取りが行われるようになってきました。

軽~く検索にかけると、驚くことに予期せぬ三人目妊娠的発言が多いということに気づかされました。
軽く検索はするけど、軽いのりでやることと違うのでは?というのが最初の見解だったのですが実際読み進めると、ちっとも軽く考えてなかった。
経済的事情とセックスは相反するということ。今まさに当事者になりかねないフワフワした状態にいることを認識しました。絶対などない。

 


子供の可愛さは、日に強くなっていく。
まして子供自身でやれることが増えると、親の我々も負担が減る。
余裕が出てくると、もっと子供が欲しいってなる訳です。
ちなみに私は子供どころか結婚も考えていなかった人なんですよ。
子供の存在は偉大だなって。

電話1本するのに、受話器の向こう側で何回パパと言ってるかわからないし、

家帰りゃ山程、ただいま言ってる。

寝てりゃ馬乗りになったり、顔を叩いてきたり。とにかくくっついてる。
そして、子供が増えると、重なってくっつく。
長男が弟を私の上に乗せてから自分がその後ろに乗って

ガタンコトン

と言い出す。とーちゃん貸車かよ。

そうなると…。何だか…。
もう二人くらいそばで、喃語しゃべっててくれないかなーって(笑)
確かに大変なんですけど、愛する以上に愛される人間が増えるというのは、笑顔を忘れなくさせる程に格別なものです。
仕事がきつかったり、嫌なことがあった日だって、家で親を待つ子供達は知りもしない。

とーちゃん、今日は○○で遊んだんだ。

とーちゃん、あーとーちゃん。
それからね。
ボクの、ワタシの話を聞いて…。

かばんも上着もおろす暇もない。手も洗えない。うがいもできない。
リビングいけば、ニュースも見れない。
家事の手伝いに始まり育児をこなしつつ、寝かしつける。自分の時間はそこから。

今日の私達の出来事を聞いて…って。

待ってくれ、とーちゃん帰ってからまだ然るべきことをやってませんが?
とーちゃんの都合は完無視で、一人ずつ話してもくれない。手を引っ張られながら全員まとめて話し出す。

 

父親ってこんなに仰山やることあんのかって。大変なのに、それ以上に救われてる自分がいます。必要とされていることを実感できる。


もうこれ以上は考えてないけどな。

でも子供との生活で幸福度が倍増していってしまった。
お金あれば文句無いのですが…。

でもキレイなお金を稼ぐって大変。
いつもと変わらず最低限の仕事をしつつ、最大値が伸びる確信がある時だけ汗をかく。
人間に欲があることを考えると、これほど難しいことはない。
たまには、はめはずしたい。
そう考えるのが人間。
世の中は気まぐれで。残酷だったり、かと思えば捨てたもんじゃなかったりしますが、その中で努力が実るのはずっと先の話。
先が見えない。
人間は見通しのきかない道が嫌いで不安も募る。
それでも進んでいくのは、好きで選んでるからなのか成長を実感してるからなのか、また惰性なのか人それぞれだけど、自分のスタイルで間違えのない道の歩き方がある。

それは、自分を知ってから努力をすること。

人のペースは自分のペースじゃない。
人の考えは自分の考えじゃない。
逆もまたしかり。
それができてからじゃなきゃ、何も残らない人生になるっていっても過言じゃない。

自分を知ることは、限界を知るということでもある。
自分にとってどうするのが一番なのか身体が覚えたら、後の判断が間違っていたとしても立て直すのは、それほど難しくない。

逆境に負けなくなったら、
自分の型がうまくはまった証拠だと思う。
ある意味では、例え大きな夢がなくても好きでなくても、惰性で生きてるだけだとしても、自分のことがわかっていれば無駄にはならない。確実に前に進んでいく。
自分の形さえあれば、どうにでもなるってこと。

どうにでもならん三人目。
飽くなき欲求と現実を受け止めなければならない責任感のぶつかり合い。
これからどうなるかわからないけど、自分の決断を信じてる。
後は子供達に苦労をかけないようにしたい。色々あるけど、何だかんだと日本は平和だ。
辛い環境ではない。
生きるため蹴落として高台に登ろうとする、きれいごと言わなきゃそれが現実。
文句あるなら、かけ上がって来いって。

世の中が辛く厳しい世界に感じるのは、まだ見通しの悪い場所で周囲を見渡してるからに他ならない。

とーちゃん正直これからの世の中にあった生き方を知らないけど、術は教えたい。
自分はどんな人間なのか?
それを知るためには何よりも、友達を多く作ることだし、自分と合わない人間とも向き合うべき。
ビデオカメラで撮影した自分を見て驚いた経験はありませんか?
これ、私の声?こんなことしてたの?

自分を知るために第三者の目で指摘してもらう。そのための材料は多ければ多いほど良い。つまり友達をたくさん作ると良いってことになる。

人工知能に仕事を奪われていくって聞いた。
しょせんロボット。
人間の個性にはかなわない。
だから自分を知る。
自分にしかできない気持ちと能力を社会にぶつける。
それが生きるってこと。

人生がどう転んでも対応してやる。
そのかわり、欲望のまま生きるのを我慢できそうもない。
底無しにお金が欲しい。
全力で家族と向き合いたい。

私がしょうもない人間だったから尚更。
子供にはすごい大人になってほしい。
方法なんてない。自分で考えさせる。
最近流行りの本みたいな文句。
その姿勢を教える。

…。

寒くなってきて節々が痛い。
長男がマッサージしてくれました。
もう気持ち良いなんてもんじゃない。
フィット感がたまらない。
気持ちも嬉しい。

知らない子供の鼻水が出てるとティッシュを要求するらしい。
次男君の世話をするのが好きなお兄ちゃんだからなせる技かな。
兄弟で力を高めあって欲しいな。
何よりも身近に影響力がある存在だから。