どう楽しむか

素敵な発想

大人の大人な振る舞い

どういう訳か私は、昔からおじいちゃんおばあちゃん達に好かれる?傾向があり、どこでもかしこでも話かけてくるんですよ。最近そんなおじいちゃん達から、珍しく「最近の若いもんはけしからん」という典型的な話ではなく、大人の大人らしい振るまいが欠けているという話を伺いまして面白いなと思ったので書くことにします。インターネットを使えない世代のお年寄りの方の熱弁ですからね、私だけに対する話だけで終わらせたくないと思った次第です。
そもそも、「大人の大人らしい振るまい」というのは、例えば相手が老若男女問わずどのように感謝の気持ちを伝えているかということです。
電車で席を譲ったとか、横断歩道で歩行者に道を譲ったとか、何でもいいのですが、相手を思いやってしてくれた行いに対する振るまいがどうもスマートではないと仰る。
このようなことが最近どこでも蔓延しており、その姿をみた子供たちは思いやる心を育めないと仰るのです。
ほんの一言もしくは態度があるだけでも気持ちは伝えられるのに、それをしない。おじいちゃん達は呆れていました。
交番で警官が一般人に道を尋ねていました。警官は身振り手振りと言葉で説明してくださったのにどうでしょう。
「ありがとうございました」がないのです。
よくオリンピックでおもてなしをアピールしたなと。謙虚さの欠片もそこにはなかったのです。
道を譲ってもお辞儀もしない、手も上げない。
また、気持ちの伝え方もひどいです。
電車内では
「次で降りますから」
「結構です」
横断歩道では、速く渡らないとと、小走りになりますがゆっくりでいいのです。気持ちを伝えさえすれば。なぜなら、横断歩道では歩行者が優先なんですから。
次で降りますからというのは何でしょうか?言われた人の立場を考えましたか?
言わなきゃ良かったと思いますよ。
「結構です」?それでもありがとうございますというのは続かない。
本当かよ、と思ったそうです。
思いやる心を育むための大人の大人な行動。一言あるかないか。一言も後一駅だからと、遠慮することとその気持ちをありがたく受けとることは違います。全然違うのです。
パクりだとか、競技場の建設が白紙だけど大丈夫かとか嘆く前に自分の振る舞いをもう一度見直すのはどうだ?と仰られました。
私は、ぐうの音もでません。仰る通りだからです。
感謝の気持ちを素直に伝えるのは全然難しくありません。
おじいちゃん達が警鐘をならした事について継承するため、今回の更新としました。