どう楽しむか

素敵な発想

抱え込み過ぎてる話

長年の付き合いで同僚に、双極性障害を疑う人がいます。
何度か長期休暇を繰り返し、その度に謝りつつも戻ってくる。

そして、その調子を崩すタイミング。
それが躁状態にあるんじゃなかろうか。
金曜日、いつもとは違う、うるさい程のテンションの中、早上がりだった同僚はお疲れの挨拶をするぎりぎりまで、
マジでうるさかった。さっさと帰れ。

私は、その時あまり気に留めてなかったのですが、週明けまたも休みに入った事が伝えられました。もう何度目か覚えてません。

忘れもしない挨拶。

来週もよろしくお願いします。


そう言って彼はついに来なかった。
まるで、対策などできない。
なぜなら元気だったのですから。
できることはない。
それが、もどかしい。
子供がいて、奥さんも働いていて、自分も仕事ができる。何の問題もなく見える。問題は脳の構造。
いつ落ち込むかわからず、それに恐怖する。
たまたま、悪い事が連鎖したり、急に考え事ができる時間があったり…。
自分の想定通りに起こらない事が多発して、完璧が曖昧になり、なんでこんな事もできないんだと勘違いする。
それ許容越えてるから。

理屈じゃない。きっと健常者が何を言ってもわからない理由がそこにある。
輪からはみ出してしまうのもそういうこと。
仲間外れなんて微塵もしてないのにな。
冷たい態度にとられてしまえば、尚更のこと。できることはないんです。

 


関係ない話ですが、ネットの普及もあって情報が錯綜してますけど、最終判断は自分。
どうか、他人の情報ごときを鵜呑みにして影響されないでほしい。
学校に通わない生き方とか、よく聞くようになりました。
私は否定します。
不登校の原因は環境なんかじゃない。
自分の問題です。
学校の勉強ですることは、自分を知ること。他人を知ること。協力すること。
善悪の区別をつけること。友人をつくること等がメイン。授業の内容はその後についてくれば良い。
親の勝手で子供の人生を決めるものじゃない。甘えて良いところ、悪いところがあるんです。それは、親だけでできることではない。

我慢しなくても良い生き方が、その人それぞれにある。
それを見つけさせてあげる。
学校はそんなとこですよ。
良い先生がいない、生徒がクソガキとか関係ない。
そんな悪い因子の言い分を真に受けて、それで落ち込んで逃げる方が、余程悪い。
逃げずに立ち向かう術を教えるのが親。
サポートするのが大人です。

前述の同僚がもう1歩何かしら踏み出してくれないと助けようがない。
自分を食わすのに精一杯ですが、ずっと分からず屋って訳じゃない。
会社も愛想が尽きそうなので、何でも良いから話してほしいと思いました。

皆、抱え込み過ぎじゃね?