どう楽しむか

素敵な発想

グループ入りしてからの見解

精神障害持ちの方のグループでどのように対応すればいいのか日々勉強させてもらっています。
職場やネット上にそのような知人がおり、なかなか症状が良くならない(むしろ悪化)でいるのです。
決まって見た目、雰囲気は悪く見えません。むしろ元気です。なので、もう治ったと勘違いしてしまうのです。
その内に外面ではわからないことに気づきはじめました。
今の段階で何人かの方々のブログを散策させて頂いてますが、やはり同じ印象ですね。
感情的な内容も目につきますが、基本自分の状態のどこが悪いかを理解してます。むしろ健康な人よりも理解してるんじゃないかと思うほど。
ただ感情的になるとストレスの温床、邪念、世の中の嘆き、他人の感情や物事を自分の思う通りに決めてしまいがちなところがあります。とにかく後ろ向きでまるでストレスを溜めるのが趣味と思えてしまうほどです。
ブログを書くことでストレスを発散してるのではなく、火に油を注いでいるようにお見受けするんです。
他人との会話では社交辞令、リップサービス、建前、威嚇、暗黙の了解、マナー等があります。
それら全てが自分のためになるとは限りません。不都合があるのが常です。
それなのに自分の見解で相手はこう思っていると決めつけてしまってるんですよね。相手の気持ちなんてわかりません。
本気で言ったかも、冗談で言ったかもわかりません。しかしそこは人間。解釈の違いはあります。なので違う解釈をしても後ろ向きに考えず、前向きでいましょう。怒りをぶちまける更新ではなくなるはずです。
私の職場の同僚も、仕事してる間は驚くほど普通の人間と変わりません。
それがプライベートに戻った時に考えすぎてしまっているのでしょうか?
私の見立てでは、仕事はできるし話もできるし悪いところなんてないのですが…。
まして同じ会社で働くなら目的は同じです。知らずの内に調子を悪くしてるなら、私達はどのような態度をとったらいいのでしょう?
はてな歴10年の私は、長年「どう楽しむか」をコンセプトに生きてきました。生きてくためにどう発想したら自分のためになるか?どう解釈したら楽しいのか?
例えそれが間違った解釈でも前向きであればそれでいいという考えです。
従って失敗しても構わない。後で慌てよう。
「へっしさん、これやったらやばそうです」
「いいよ、後でテンパろう。」
どう考えても頭悪いですし、失敗の確率も高いです。ですが同時に気安く行動するハードルも低くくなります。
…。
直球で話すとその分だけ代わりに働かなければいけないので決して他人事ではないんですよ。そっとしとけなんて思わないでほしいです。
周囲は上辺の気遣いだけで実際のところよく思ってません。口ではそうかもしれませんが、気にかけているのは間違いありません。一人でも多く働き手があればその分効率がよく負担も減るからです。
どう助けて欲しいかわかったら世話ないのでしょうか?
馴れ合いだけで壁を作らずにどうか歩み寄って欲しいです。
気軽にコメントを下さい。いや、むしろアドバイスはないのでしょうか?
…。
私もまだまだ未熟者です。
どう考えても鬱の極みという修羅場も発想次第で楽しめるよう今日も一歩ずつ邁進します。